肉体改造な英語ブログ

英語の運用能力を出来る限り上げるためには肉体改造するしか無いんじゃない?

英語のシラブルとグルーヴの関係

日本語を母国語としているとカナ一文字が1シラブルのため、実はカナは子音+母音で構成されているということを意識することが無い。結果、無意識に子音と母音はセットなんだと刷り込まれてしまい、子音そのものの音を意識することも無い。

ここまで書いて思ったのが、子音の「音」を意識しようにも、日本語には子音のみを表す文字が無いから意識のしようが無いのか。。。しいて言えば「ん」だけ?

英語喉の上川さんは英語での1シラブルの基本は子音+母音+子音と説明し、それを3ビートと呼んでいる。本でも出てくる例だがTennisの場合はten-nisと2シラブルとなる。Japanの場合はJap-panと2シラブル。pがダブる理由は本を参照して欲しいが、実際に自分の耳に聞こえてくる英語のネイティブの発音はそうなっているので自分的にはとっても合点がいく説明なのだ。シラブルは母音の数と一致するのだから、とってもシンプルでわかりやすい!


ちなみに上川さんは日本語については2ビートと説明している。例えばテニスの場合はte-ni-suと3シラブルになり、ジャパンはja-pa-nと3シラブルになる。

英語喉の本の中ではこのシラブルの違いを文字で説明する時に英語の3ビートをボンボンボンといった音の感じで、日本語の2ビートをダダダという音の感じで説明している。


えーと、演奏家からすると「ビート」って言われてしまうと混乱するわけですね。このシラブルの感覚って拍子の話というよりは、一拍をどう捉えるかっていう話に近い気がするのですよ。だから、シラブルを言い表すなら「ビート」よりも「グルーヴ」の方が適切じゃないのかな?


1シラブル=1拍と考えてみる。

英語は3連系とかゆったりした16部音符のグルーヴで、日本語は早い8分音符のイーブンのグルーヴって感じ。


ジャズのウォーキングベースなんかが最も分かりやすい例で、一拍ずつボンボンと弾くのだけど一拍の中に「ンーァ、ンーァ」っていう感じ3連のグルーヴがある。譜面で書いたら一小節に4分音符が4つのつまらない形なんだけど、いざ弾いてみるとグルーヴするっていう、あの感じ。

大好きなRay BrownとDiana KrallのGroovyな演奏

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16分ノリだったらMotownとかのグルーヴとかね。

Marvin GayeのWhat's Going on

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日本語は「ダダダダ ダダダダ」というストレートなグルーヴのエイトビート和製英語)が近いんじゃないだろうか?このエイトビートも格好良くやるのには奥が深いのは分かっているけど、とにかく初心者でもとっつきやすいビートであることは間違いない。多少走ろうが、グルーヴよりも疾走感が重視されるしね。バンドブームの時ってそんなバンド多かったでしょ?


前述の3連系とか16分音符で作るグルーヴって実はとてもゆったりしている。速く聞こえる場合でも、流れているグルーヴはゆったり。

ラテンとかのめっちゃ速い曲とかは8分音符でガンガン行く。8分音符は速いんだよね、やっぱり。


だから、まぁ、一拍の捉え方がシラブルだとすると、それを繋げていくのがフレーズであり、トータルで曲でありスピーチなどになるっていうことかなぁ、と思う。で、最低限グルーヴが分かってないとセッションやアンサンブルは出来ない。というか、そのレベルのミュージシャンは二度と呼んでもらえない。音楽での会話が成立しないから。。。これってつまり、英語のグルーヴが出来ていないから対等に会話してもらえない、っていうことなのかな。


音楽も英語もコミュニケーションという点だけに注目すれば

速弾き出来なくても問題ない=速くしゃべれなくても問題ない
難しいフレーズが弾けなくても問題ない=難しい単語、イディオムを知らなくても問題ない
高度なアドリブが出来なくても問題ない=難しい言い回しが咄嗟に出てこなくても問題ない

と言えると思う。(勿論、仕事で求められる場合は、それにともなった技術は必要です)


音楽においてはグルーヴが本当に大事。だから英語においてはシラブルがとっても大事だと思う。あと、もう一点付け加えるなら「音色」。その音楽にあった「音色」っていうのが必ずあるので、英語についても「声」を磨くことを頑張りたいね。

おそらく、それで何かが変わるんじゃないだろうか。







英語喉始めます。

 上川 一秋さん、ジーナ・ジョージさん著の英語喉 50のメソッドという本があります。

 

この本は日本人が意識していなかった下記の日本語独特の特徴を説明します。

  • 喉でブレーキを掛けて一音(子音+母音)ずつ切って発音する発音法
  • 一音が1シラブルになり、一単語に沢山のシラブルが存在すること

 

そして、英語(およびその他多くの言語)には下記の特徴があることを説明しています。

  • つねに喉がリラックスした状態で息、音がブツブツ切れる事無く流れていく発音法
  • 基本的に母音一つに対して1シラブル、結果1シラブルで成立する単語も沢山存在する事

 

この基本説明だけでも僕にとっては衝撃的でした。丁度先日アメリカ人の友人に「日本語ってスピード早いね。マシンガンみたい」と言われたばかりだったのです。

 

英語では"I"という1シラブルの単語で「私は」という意味を持ちます。日本語では「わたしは」は4シラブル必要ですから、同じ意味を伝えるのに4倍の音が必要になる訳です。

 

今までのアメリカ生活の中で感覚的に「ゆっくり話す」「声を低めにする」という2点に注意すると伝わりやすいというのはわかっていましたが、それを理論的に肯定してもらった感じがしました。

 

つまり、日本人にとっては話をする時に沢山のシラブル=音を使うのが当たり前ですが、英語を話す時にその感覚のまま話すと速度が早すぎてしまう。ついでに言うと口が回らない(笑)また、声を低めにすると喉を使いやすい、ということが有るのかもしれないと思いました。

 

 

そして、この本にはそういった特徴を持つ日本語話者がネイティブが理解出来る英語を発音するために必要なトレーニング、メソッドが書かれています。

 

本日、著者の上川さんにオンライン授業をして頂き、僕の英語喉トレーニングが始まったのでした。本当に本当にRの発音苦手だったのですが、授業終了後にネイティブの友達に発音チェックしてもらったところ余裕でRが正確に発音出来る様になっておりました!

 

今までの英語の発音の常識がオカルトだったのでは?と思う程、本質的に発音がわかるようになるメソッドだと思います。

 

あとは反復練習。神経と筋肉に覚え込ませるプロセスに入ります。

 

 

 

 

TOEICスコアと実際の英語運用能力

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前回のブログでTOEICで取得したスコアを書いたので、ちょっと脱線するけどTOEICについて思うことを書いてみたい。
 
ちなみにブログ主は2008年以降はTOEICを受験していないのだけど、最後の受験時のスコアは885点。その経験を踏まえて書いていることを予めご了承願いたい。

TOEICが英語の運用能力を測る目安になるかどうか?

今、日本でのTOEICの知名度は高い。まだ、私が日本に住んでいた2000年代前半では、まだそれほどでも無かった気がするが履歴書に書ける資格として知られてはいた。当時、私も聞きかじった情報でスコアが600くらいあれば職探しに有利と知り、履歴書の資格欄に「近日中にTOEIC 600点取得予定」とか書いていた(笑)

取得予定を書くなんて今思うと本当に意味不明なのだが、面接官も「へぇー、じゃあ英語得意なんですねぇー」なんて言ってくれていたの(笑)
 

知ってる人たちにとっては常識だとは思うけど、一応念のため「TOEICとは」を書いておきたい。

TOEICとは
  1. ReadingとListningの2セクションから構成されるマークシート形式のテスト
  2. 合否ではなく10~990まで5点刻みのスコアによる採点
  3. 受験者の殆どが日本人と韓国人であり、その2カ国以外での知名度は皆無

まず、TOEICのスコアが英語の運用能力を測る目安になるかどうか?についての私の意見は「目安にはなるが、過剰な期待は禁物」といったところ。

運用能力とは「聞けて、話せる プラス 読めて、書ける」という、つまり状況に応じて必要なレスポンスが出来る能力だと考えている。TOEICは聞いた上で最も適切な答えを選び、また読んだ上で最も適切な答えを選ぶテストだから、スコアが高いということは「何が求められているか」ということが有る程度英語で理解出来ている、と言える。

当然、マークシートだから勘とか運とかテクニックとの要素もあるにはあるけど、高スコアを取る人にとってはあんまり関係無い。だって、設問の内容は英語が分かる人間からすれば間違えようの無いくらい簡単だから。

多分、体調とか睡眠不足とかの方がスコアに影響するよね。だって、テスト時間長いだもん。。。


さて、このテストはコミュニケーション力を測ると言いながら、実際は「英語力を推測する」こと以上が出来ない。なぜなら、このテストにはSpeakingとWritingが無いから。

例えば日本語だって上手く話せない人、議論が苦手な人、聞かれてることと全然違うことを答えちゃう人なんて沢山いるでしょ?メールとかでも支離滅裂とまではいかなくても意味の分かりにくい文章書く人なんて珍しくもなんとも無い。

おそらく彼らは日本語を言語としては完全に理解してるんでしょう。でも、状況、背景に応じた理解、読解力や伝えるための話力、文章力が低いのだと思う。

で、こういった人たちのコミュニケーション力って高いって言えますか?

私は言えないと思う。だから、SpeakingとWritingを抜かして、コミュニケーション力を測れると言い切るのは乱暴だって(笑)


でも、英語の基本能力が無かったらまともなスコアは取れないのも本当。700点くらいから上は基本は出来てるって考えてもいいのかなぁ、とも思う。それ以下のスコアの場合、英語を使った業務を任せるのは危険だと思う。本人が英語分かってると勘違いしてるケースは皆が不幸になる。

例えば、誰も英語が得意じゃない職場に英語が得意というふれ込みで600点くらいの人が入社。海外取引先とのやり取りを任される、勘違いからトラブルになりかけているが誰も英語が分からないのでトラブルの発芽に気がつかない。。。そして、気がつくころには取り返しのつかないことに。。。

あぁ、怖い(笑)


お節介ですが、TOEICに詳しくない人事担当者の方へ
あのテストに出てくる英文って仕事では普通に使う表現ばかりですし、Listeningのスピードも凄く遅いので、最低でも700点くらい取れていないってことは「全く仕事では使えないレベル」って事ですからね。700点ってことは全体の7割しか理解出来ていないって事なんで、それ以外の3割は自己努力でなんとか出来る人をちゃんと雇ってくださいね。


という事で、TOEICの限界を理解しつつ英語運用能力の目安として使うことをお勧めしたいし、スコア偏重主義に陥らないようにして欲しいなぁ、と思うのであります。
 
TOEICスコアは英語の基本能力の結果としてついてくるものであって、スコアが英語運用能力を担保するものではないということを強調しておきたい。
 

あと、多分ですが900点くらい取った時に、ようやくスタート地点に立ったという事に気付く人が多いよ、と聞く人によっては身も蓋も無い事を敢えて言っておきたい(笑)

ブログ主と英語の関係(1)

英語との出会いは中学校でした。これは殆どの日本人と同じだと思う。

このブログのメインテーマは実はSpeakingなのですが、学校の授業で発音をしっかり教えてもらった記憶が無い。全く無い。まぁ、教科書の音読はあったけど、大多数の日本人にとってあるあるの「英語っぽく発音するとクラスの皆から笑われる」でしたから、発音に真面目に取り組もうなんて思いませんでした。

中学も高校もテストは基本的に英文和訳、英文和訳がメインだったように思うので、6年間の学校生活の中で発音を気にしたことなんて一瞬も無かった。。。もしかしたら、発音を教えられる先生も居たかもしれないけど、こっちにその気が無かったんだから仕方が無いね。

大学受験も英語はセンター試験のみだったのでマークシート。なんとなく勘で解いていたような気がします。

大学に入ったは良いけれど、真面目に授業に出ていなかったので、英語の授業は補講に出て何とか単位取得。。。


振り返ってみると、まったく英語を身につける気が無い学生生活を送っていたわけですね。


渡米後、最初の二年間はきつかった!上記の通り、学生時代ですら英語力ほぼ0だったくせに、25歳の時に何も準備せずにいきなり移住しちゃったので。若いっていうのは本当に怖いもの知らずですね(笑)

アメリカでは日本食レストランのキッチンの下働きからのスタートでした。とにかく、英語が全く分からない!10代のメキシコ人のアミーゴ達にアゴで使われても文句も言えない!馬鹿にされて悔しいし、ストレス半端なかったですねぇ。


第一の転機

「さすがにこれはまずい。。。」

バカはバカなりに悩んで、考えたんですね(笑)で、ネットで色々調べていくうちに伊藤サムさんのWebsiteにたどり着くわけです。そこで彼の推薦する文法の教科書「Grammar in Use Basic」と出会います。

この本は中学一年レベルの文法から始まるのですが、この時の私は「1からやり直すのだ!」という信念で取り組んでましたので飛ばすことなく丁寧にやり込みました。おそらく3周から4周は読み、問題を解き、ノートにまとめということをしたと思います。
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勉強時間は1日3時間程度確保し、休まずに毎日勉強していました。

3ヶ月ほど経った時、英文が読めるようになり、簡単な会話が大体聞き取れるようになっていました。文法をやったおかげで英語の構造の基本が分かるようになったのです。そして、構造が分かるので、推測しながら読んだり、聞いたり出来るようになったのです。

それからはグレードリーダーの本を3,40冊くらい読み、英語に慣れることに時間を費やしました。所謂、多読ってやつですね。その時は結構頑張って読んでましたねー。
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でも、今もう一回グレードリーダー読めって言われても、イマイチ気が乗らない。。。それは何故か?

つまらないからですね(笑)

単語数を制限してある関係でシンプルすぎて、ちょっと飽きるんです。勉強!!って気合が入ってるときには良いんですが、そうでは無い時に「読書」として楽しめるクオリティは無い、と私は感じてしまう。。。


そんな感じで文法の基本とグレードリーダーによる多読をしていたのが半年間くらいでしたかね。その段階で一回TOEIC受けてみるかな?と思ったんですね。

 

で、そのときのスコアが705。

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英語力0が半年頑張って705なら、良いんじゃん!?なんて思っていた時期が僕にもありました。。。




つづく

なぜ英語が肉体改造なのか?

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思い立ったが吉日では無いんですが、新ブログ始めました。


「肉体改造な英語ブログ」

何かを習得するって言うのは、何かしらの肉体改造的な要素があると思う訳です。

例えば、楽器を弾くことっていうのも十分肉体改造だと思うのです。普通の生活では使わない神経、筋肉を反復練習によって自由に動かせるようにしていく事。また、私は筋トレもやってますが、これもがむしゃらにバーベルを上げ下げしている訳では無く、今まで意識出来なかった神経、筋肉を意識して刺激を与えていくという事であります。


結局、ポイントは普段使わない神経、筋肉を自分の意思で動かせるようにトレーニングをするというなのです。


じゃあ、英語は?

これまで英語や語学っていのは「勉強」というカテゴリで捉えていました。脳とか記憶とか理解とか、そういうことにフォーカスする感じ。もし試験で良い点を取ると言うことが目標だったら、その捉えかたでもそれなりに結果は出せるかも。

ですが、現在の私はアメリカで人並みに生きていきたいというのが目標。もっと言うと、社会の底辺からのし上がっていく(笑)ために最低限でも「バカにされない英語力」が欲しいし、究極的には「完全な英語運用能力」が欲しい訳です。

実際、これまで10年くらい「勉強」はしてきた訳です。でもね、恥をしのんで言いますけど、相手の言ってることの全部は聞き取れないし、言いたいことが相手に伝わっているという実感を味わったこと無いんです。

 

とにかく英語を話す時は「どうせ通じないだろうなぁ」というネガティブな感情に支配さてれている感じ(笑)

でも、アメリカではしゃべれないとホントにお話にならない。。。


仕事でも音楽の現場でもミーティングや電話でのやり取りは避けられない。そして、そこでしっかり話しが出来ていなければ、その場にいないのと同じことなのです。

 

じゃあ僕はどうしているか?と言えば、分かったような顔をして、ただひたすら会議が終わるのを待っている。。。泣けますなぁ。。。

 

いつも複雑な案件はメールで済ましたいなぁー、と願っているけど、そういう訳にもいかないし。いつか「っていうかお前、必要なくね?」って言われるんじゃないかとビクビクしてます。。。

 

なので、もういい加減、英語をちゃんとしゃべれないとアメリカ社会の中でまともに生きていけないっていうか、お金が稼げないわぁー、と切実に思ったわけです。

実はこれまで英語についてはちょっと他人事というか、特に発音については諦めておりました。身につけるために必死になったことも無かったし、ネイティブじゃないしどうせ無理なんじゃん?って。で、英語で話す度に心の中で「まぁ、それなりに通じればいいか」とか「発音が悪くても内容がしっかりあれば良いじゃん」という言い訳をしてきた訳です。

まぁ、そんなんじゃ進歩するわけないね(笑)


今月のある日「あ、英語を発音できるようにするっていうのは、つまり肉体改造なんだ」って思ったんです。パァーっと目の前の靄が晴れた感じがしましたね。

 

これまでも「肉体改造」を経験してきてるんで、そういうことなら俄然やる気が出てくるぞ、と。つまり、胸から頭に掛けて声帯や喉や鼻腔や舌とか、とにかくそのへんの神経とか筋肉とかを英語の発音に合わせてチューニングするってことでしょ?

そういうの嫌いじゃないんで、やってみようと思います。ま、失敗しても誰に迷惑掛けるわけでも無いし気楽なモンです。