なぜ英語が肉体改造なのか?
思い立ったが吉日では無いんですが、新ブログ始めました。
「肉体改造な英語ブログ」
何かを習得するって言うのは、何かしらの肉体改造的な要素があると思う訳です。
例えば、楽器を弾くことっていうのも十分肉体改造だと思うのです。普通の生活では使わない神経、筋肉を反復練習によって自由に動かせるようにしていく事。また、私は筋トレもやってますが、これもがむしゃらにバーベルを上げ下げしている訳では無く、今まで意識出来なかった神経、筋肉を意識して刺激を与えていくという事であります。
結局、ポイントは普段使わない神経、筋肉を自分の意思で動かせるようにトレーニングをするというなのです。
じゃあ、英語は?
これまで英語や語学っていのは「勉強」というカテゴリで捉えていました。脳とか記憶とか理解とか、そういうことにフォーカスする感じ。もし試験で良い点を取ると言うことが目標だったら、その捉えかたでもそれなりに結果は出せるかも。
ですが、現在の私はアメリカで人並みに生きていきたいというのが目標。もっと言うと、社会の底辺からのし上がっていく(笑)ために最低限でも「バカにされない英語力」が欲しいし、究極的には「完全な英語運用能力」が欲しい訳です。
実際、これまで10年くらい「勉強」はしてきた訳です。でもね、恥をしのんで言いますけど、相手の言ってることの全部は聞き取れないし、言いたいことが相手に伝わっているという実感を味わったこと無いんです。
とにかく英語を話す時は「どうせ通じないだろうなぁ」というネガティブな感情に支配さてれている感じ(笑)
でも、アメリカではしゃべれないとホントにお話にならない。。。
仕事でも音楽の現場でもミーティングや電話でのやり取りは避けられない。そして、そこでしっかり話しが出来ていなければ、その場にいないのと同じことなのです。
じゃあ僕はどうしているか?と言えば、分かったような顔をして、ただひたすら会議が終わるのを待っている。。。泣けますなぁ。。。
いつも複雑な案件はメールで済ましたいなぁー、と願っているけど、そういう訳にもいかないし。いつか「っていうかお前、必要なくね?」って言われるんじゃないかとビクビクしてます。。。
なので、もういい加減、英語をちゃんとしゃべれないとアメリカ社会の中でまともに生きていけないっていうか、お金が稼げないわぁー、と切実に思ったわけです。
実はこれまで英語についてはちょっと他人事というか、特に発音については諦めておりました。身につけるために必死になったことも無かったし、ネイティブじゃないしどうせ無理なんじゃん?って。で、英語で話す度に心の中で「まぁ、それなりに通じればいいか」とか「発音が悪くても内容がしっかりあれば良いじゃん」という言い訳をしてきた訳です。
まぁ、そんなんじゃ進歩するわけないね(笑)
今月のある日「あ、英語を発音できるようにするっていうのは、つまり肉体改造なんだ」って思ったんです。パァーっと目の前の靄が晴れた感じがしましたね。
これまでも「肉体改造」を経験してきてるんで、そういうことなら俄然やる気が出てくるぞ、と。つまり、胸から頭に掛けて声帯や喉や鼻腔や舌とか、とにかくそのへんの神経とか筋肉とかを英語の発音に合わせてチューニングするってことでしょ?
そういうの嫌いじゃないんで、やってみようと思います。ま、失敗しても誰に迷惑掛けるわけでも無いし気楽なモンです。